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更新日付:2024年4月1日
知事コラム(2024年4月)
松ケンとの邂逅(かいこう)
“身近な存在のように感じていても、実際に出会うことのない人”というのは、多く存在します。例えば芸能人の方などは、テレビなどで毎日のように見ていても、直接本人と出会う機会はなかなかありません。私にとって、そうした存在の1人であった俳優の松山ケンイチさんと、最近、知り合いになりました。
私自身、「DEATH NOTE デスノート」や「GANTZ(ガンツ)」、「平清盛」、最近では大手コンビニのCMなどで松山さんのことはよく存じていましたが、松山さんも、報道などを通じて私のことをいつも見てくださっていたとのこと。また、よくよく聞けば、松山さんは中学時代、私の父が開いていた塾に生徒として通っていたとのことで、思いがけないご縁もありました。年齢は私の方が少し上ですが、青森のこと、そして故郷のことをとても大切にしている熱い方です。
私はむつ市で生まれ育ち、高校時代は青森市、大学時代は仙台市で過ごしました。就職してからは東京で働き、ニューヨークへも赴任しました。そして、政治家・市長となってむつ市へ戻り、今は知事として青森市で暮らしています。ぐるぐると回っているだけのように見えますが、自分としては、その過程で少しずつ成長していると感じています。言うなれば、ヘーゲルの「螺旋(らせん)的発展」でしょうか。そしてその原点には常に、故郷・青森への強い思いがありました。
故郷・青森という原点で交差した二人の人生。これからの青森について、情報発信のあり方を含め、大いに語り合いました。そして県政運営の新たな基本方針となる「青森県基本計画『青森新時代』への架け橋」に基づき、今年度からいよいよ「青森新時代」が本格スタートします。県民の皆さまとの出会いを大切にしながら、一人ひとりとよりそい、未来へ一緒に歩いていけるよう、私が先頭に立ってひたすらに進みます。前へ。もっと前へ。さらに前へ。
追伸:暖かい冬でした。もう各地の桜は咲いているでしょうか。
私自身、「DEATH NOTE デスノート」や「GANTZ(ガンツ)」、「平清盛」、最近では大手コンビニのCMなどで松山さんのことはよく存じていましたが、松山さんも、報道などを通じて私のことをいつも見てくださっていたとのこと。また、よくよく聞けば、松山さんは中学時代、私の父が開いていた塾に生徒として通っていたとのことで、思いがけないご縁もありました。年齢は私の方が少し上ですが、青森のこと、そして故郷のことをとても大切にしている熱い方です。
私はむつ市で生まれ育ち、高校時代は青森市、大学時代は仙台市で過ごしました。就職してからは東京で働き、ニューヨークへも赴任しました。そして、政治家・市長となってむつ市へ戻り、今は知事として青森市で暮らしています。ぐるぐると回っているだけのように見えますが、自分としては、その過程で少しずつ成長していると感じています。言うなれば、ヘーゲルの「螺旋(らせん)的発展」でしょうか。そしてその原点には常に、故郷・青森への強い思いがありました。
故郷・青森という原点で交差した二人の人生。これからの青森について、情報発信のあり方を含め、大いに語り合いました。そして県政運営の新たな基本方針となる「青森県基本計画『青森新時代』への架け橋」に基づき、今年度からいよいよ「青森新時代」が本格スタートします。県民の皆さまとの出会いを大切にしながら、一人ひとりとよりそい、未来へ一緒に歩いていけるよう、私が先頭に立ってひたすらに進みます。前へ。もっと前へ。さらに前へ。
追伸:暖かい冬でした。もう各地の桜は咲いているでしょうか。
(県民だより あおもり - 2024年4月号)