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更新日付:2025年2月1日
知事コラム(2025年2月)
ふるさとを育てる教育へ
いつも不思議に思うのですが、朝何を食べたかもい出せないことはあっても、小学校の担任の先生の名前を忘れることはありません。
母校、むつ市立大湊小学校の150周年記念式典に参加しました。私が通っていた当時(もう33年前!)は、校舎は珍しい円形校舎、教室の暖房は、まだ石炭ストーブで、石炭係というものまであった時代です。今は校舎も新しくこどもたちはタブレットで学習していて、本当に隔世の感があります。
陸奥湾がきれいに見渡せる校舎でしたので、先生方からは「宗一郎君は将来、この海を越えて行くのです」と度々、御神託のように伝えられたのが鮮明に記憶に残っています。自然と、街を出て都会で生活することがプログラムされたかのようでした。戻って来いなんて言われたことは一度もありません。
それでも自分がこうして青森に戻って来られたのは、「ふるさとを育てる教育」を受けていたからだと思います。先生方が地域に根ざして一人ひとりの個性を育み、地域の人々は目や手や足となって学校を支え、親はPTAとしてそうした活動をつなぎました。運動会ともなればもはやお祭りのようで、酔っ払ってヤジを飛ばす人、親や近所の人たちの大声援を受けながらグラウンドを駆け回りました。
1990年からの30年で青森県の20歳未満の人口は40万人から18万人と、半分以下となりました。2020年からの30年でさらに半減する見通しです。こどもたちはすぐに大人になって私たち現役世代や高齢者世代を支える存在になります。数の少ない今のこどもたちが、数の多い今の私たち高齢者、さらに次の世代を支えることになります。こどもに対する支援が、単に子育て世代だけの問題ではないことはこのことだけでも十分理解いただけるかと思います。そしてその中心には、どこか気持ちの中にふるさとがある「ふるさとを育てる教育」を据えなければ、支える方にはなり得ないでしょう。
こどもは、家族にとって宝のような存在であると同時に、地域にとっても宝です。青森県全体で、こどもたちの未来を確かなものにし、同時に青森の未来を創造していきましょう。
追伸:写真は修学旅行の時の私です。今とあまり変わらない…。小学生時代はみんなで集まってファミコンをしていました。今の小学生はそれぞれの家でオンラインでつながってゲームを楽しんでいるそうです。すごい変化です。
母校、むつ市立大湊小学校の150周年記念式典に参加しました。私が通っていた当時(もう33年前!)は、校舎は珍しい円形校舎、教室の暖房は、まだ石炭ストーブで、石炭係というものまであった時代です。今は校舎も新しくこどもたちはタブレットで学習していて、本当に隔世の感があります。
陸奥湾がきれいに見渡せる校舎でしたので、先生方からは「宗一郎君は将来、この海を越えて行くのです」と度々、御神託のように伝えられたのが鮮明に記憶に残っています。自然と、街を出て都会で生活することがプログラムされたかのようでした。戻って来いなんて言われたことは一度もありません。
それでも自分がこうして青森に戻って来られたのは、「ふるさとを育てる教育」を受けていたからだと思います。先生方が地域に根ざして一人ひとりの個性を育み、地域の人々は目や手や足となって学校を支え、親はPTAとしてそうした活動をつなぎました。運動会ともなればもはやお祭りのようで、酔っ払ってヤジを飛ばす人、親や近所の人たちの大声援を受けながらグラウンドを駆け回りました。
1990年からの30年で青森県の20歳未満の人口は40万人から18万人と、半分以下となりました。2020年からの30年でさらに半減する見通しです。こどもたちはすぐに大人になって私たち現役世代や高齢者世代を支える存在になります。数の少ない今のこどもたちが、数の多い今の私たち高齢者、さらに次の世代を支えることになります。こどもに対する支援が、単に子育て世代だけの問題ではないことはこのことだけでも十分理解いただけるかと思います。そしてその中心には、どこか気持ちの中にふるさとがある「ふるさとを育てる教育」を据えなければ、支える方にはなり得ないでしょう。
こどもは、家族にとって宝のような存在であると同時に、地域にとっても宝です。青森県全体で、こどもたちの未来を確かなものにし、同時に青森の未来を創造していきましょう。
追伸:写真は修学旅行の時の私です。今とあまり変わらない…。小学生時代はみんなで集まってファミコンをしていました。今の小学生はそれぞれの家でオンラインでつながってゲームを楽しんでいるそうです。すごい変化です。
(AOMORI MAG(あおマグ) - 2025年2月号)