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更新日付:2024年11月28日 地域交通・連携課
AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー20 大谷 真樹 さん
人生には上りと下りのタイミングがある
優先順位を考え「今すべきこと」へ注力する
1961年青森市生まれ。NEC勤務を経て、テレビ特派員として報道の仕事に従事。その後、株式会社インフォプラント(現 株式会社マクロミル)を創業。2001年に起業家のアカデミー賞といわれる『アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・スタートアップ部門優秀賞』を受賞する。2008年に八戸大学客員教授、2010年に八戸大学・八戸短期大学総合研究所所長・教授、2011年に八戸大学学長補佐、2012年から2018年3月まで八戸学院大学学長を務める。2019年に世界の現場を舞台にして生きる力を身につける学校「インフィニティ国際学院」を創設し、学院長就任。2023年7月から青森県知事参与として知事直轄の教育改革有識者会議の議長を担う。
「人生の計画書」を書いて自分が進むべき道を整理する
報道の仕事に不可欠な調査をどう簡略化していくかという発想からインターネット・リサーチのサービスを開発し、それが爆発的に広がったのです。当時は、一般大衆を対象としたマーケティング調査といえば、郵送や電話しかありませんでした。そこにインターネットによるスピーディ、かつ低コストでの調査が参入し、一気に拡大したのです。2、3人のチームからスタートし、最終的には3ケタを超える社員を抱えた組織にまで成長し、私は10年間の起業家人生を歩み切りました。
社長を退任した後は、老舗飲食チェーンや化粧品会社、石油会社など様々な企業からオファーを受けました。中には、考えられないような年俸を提示してきた企業もありましたが、私は心惹かれませんでした。
たくさんのオファーの中から、私が選んだのは八戸学院大学で働くこと。つまり、ビジネスの道から教育の道へと大きくライフシフトしたのです。
教育の道を選んだのは、どこかで教育に対する課題意識があり、人生の総仕上げとして人材を育成することに身を投じようと考えていたからでした。
私は節目ごとに「人生の計画書」を描いているのですが、そこには人生の終盤で「学校を作る」と書いていました。「人生の計画書」を書く時には、10年後、20年後、30年後を見据えて、「やれること」「やりたいこと」を棚卸していきます。「経験してきていること(やれること)」と「本来やりたいこと」を見える化していくと、「今はできないけれど将来的にはできるようになる」「自分だけではできないけれど誰かとならばできる」など、組み合わせによる実現可能性が可視化されていきます。これにより、自分が進むべき道が整理できるのです。
私はこの整理がなされていたからこそ、2009年に大学の研究所所長のオファーが来た時に、「自分ではまだ学校を作ることはできないけれど、大学に関わって学校作りに近づくことはできる」と思い、飛び込むことができたのでした。
八戸学院での10年間は、経営を立て直し、選ばれる大学へと変革させることができました。その後、現在、学院長を務めるインフィニティ国際学院を立ち上げ、2023年からは青森県知事参与として教育改革に関わり、二足の草鞋で教育変革のために歩んでいます。
青森県で「こどもまんなか」の教育を実現するために
本県には個性を伸ばす素材がたくさんあるけれど、現在は昔からの制度や仕組みによってそれが阻害されています。学校教育制度のスピーディな変革を後押しし、本県ならではの教育を実現できるようにしていくためにできることは何か。「青森県教育改革有識者会議」では、日々、その問いに向き合っています。
まず必要なことは、2040年以降の本県はどんな産業構造となり、それをどういった人が支えていくことになるのかという点から逆算して教育を構築していくことです。今まで通り首都圏に出て活躍する人材もいるかもしれませんが、それ以外のことに価値を見出している子どもたちを伸ばす教育を充実させなければ本県を支えていく人材は育ちません。
その実現のために、全国から第一線で活躍する教育の実践者を招いて議論を重ね、また県内外の学校や地域の方に話を聞いてまわり、提言に盛り込んでいます。本県で「こどもまんなか」の教育を具現化できれば、今いる子どもたちの幸せに向かっていくのはもちろんのこと、教育移住として多くの家庭に選ばれる土地になることも夢ではありません。
原体験を軸にした“旅する学校”インフィニティ国際学院を設立
それは、私自身が強烈な原体験によって大きく人生が変わってきた一人だからです。報道の仕事に転身した時には、アフガニスタンや現在のパレスチナなどに降り立ちました。身の危険を感じることもありましたし、各紛争地域ではゲリラにもたくさんインタビューをしました。日本に住んでいると「ゲリラ=悪」といったイメージが刷り込まれています。しかし、現地で話を聞くと、彼らは自分たちのこれまでの生活を勝手に脅かされた一市民だと理解することができます。暮らしや土地を守る正義を持って、命をかけて戦っています。そして、その背後にはアメリカや旧ソ連などの覇権国がおり、ゲリラをコントロールして、争いが大きくなる構造力学が働いています。その土地に行って、現地の人に話を聞いたからこそわかることがある。この経験が、私の原体験となっています。
本校は「世界で学ぶ」をコンセプトとし、中等部は北海道の層雲峡と鹿児島県の奄美大島のキャンパスを行き来し、地域に溶け込みながら寮生活をします。高等部は日本と海外、世界各地のフィールドで“生きた教材”から直接学び、自ら考え決定し行動するための力を養っていきます。昨年はヒマラヤを訪れて、大自然の中で自分たちの小ささを感じ、さらにネパールにおける貧困問題にも直に触れました。
インフィニティ国際学院では、こうした人生に大きな影響を与えるだろう原体験を散りばめて、自ら学ぶ力を育んでいるのです。
「挑戦する権利と失敗する自由」を持ち、本質を考え抜いてアクションする
教育の道にシフトチェンジしたときも、自分で1つの事業を成功させるよりも、100人の成功者を育成する方がずっと社会がよくなると計算しました。
人生には「本質を考え抜くこと」と「大胆に変化を恐れないこと」の2つのマインドセットが重要だと考えています。思いつきで新しいことをして、「すごいだろう?」とひけらかしても、それは独りよがりにすぎません。本質的に考えて考えて考え抜いた結果、動くことが大事なのです。
また、「変化を恐れない」姿勢のことを、私は「挑戦する権利と失敗する自由がある」という表現で、八戸学院の時もインフィニティ国際学院でも伝え続けています。
起業では、何が失敗か成功かもわからない暗闇を突き進む力が求められます。前例も模範解答もないので、とにかく自分で考えて、行動して、目の前の新たな壁をよじ登る。そこではフットワーク軽く、軌道修正できる人間が一番強い。今後は、起業だけでなく未来を生きるすべての人にこうした力が必要だと思うのです。
多くの人が変化に対して恐れを抱くため、人生を単線的に歩んでいく道を選びがちですが、広い視野で見ると、景色が変わるものです。挑戦する権利と同時に失敗する自由もあると思えば、しなやかに転職や新たなチャレンジがしやすくなるでしょう。そして、変わる自由を前提として生きると、「世の中はこんなふうに変化をしているのか」「もしかしたら、今後はこんな未来があるかもしれない」と流れを読む嗅覚が身についていくんです。つまり、自分でかじ取りできるマインドになった瞬間に、自ら風を読めるようになるのです。
これこそが、「自分の人生のハンドルを自分で持つ」ということです。ハンドルを握れば、道が右に曲がってるのか、左に曲がっているのか、先に悪路があるのか、崖があるのかを見極める力がついていき、ライフシフトへの道が拓けてくると思うのです。
残りの人生を逆算して今しかできないことに飛び込む
人生100年時代、マルチステージで生きることはとても重要です。その際に、「このフェーズでこそすべきこと」を見出していけるとよいでしょう。
例えば、会社員から子どもと接する教育現場へ転向しようと考えたら、体力が必要です。農業も毎日の力仕事に向かっていける体でなければいけません。だからこそ、なるべく早く始めた方がいいのではないかと判断がつきます。一方で、株式投資であればパソコンに向かってワンクリックで済むので、その先の人生でもいい。自分が持つエネルギー量は、人生100年時代をどう使うかを考える重要なファクターになります。
趣味においても、私は逆算して今しかできないことをしています。これから、エベレストを14日間歩き続けるトレッキングやネパールのマナスルトレイルレースというハードな登山レースに出場する計画があります。63歳の私がこうした過酷な挑戦をあと何年できるかと考えると、残り時間は限られている。例えば、俳句や絵画や写真などはもっと年齢を重ねてもできるのではないかと思うと、今やっておくべきことの優先順位が決まっていくんです。ハードなレースはあと5年ぐらいしかできないでしょうし、山歩きも最長10年間ほどかと思うと、必然的にそちらの優先順位が上がります。実は、サーフィンさえも、まだ先でいいと判断しているんですよ。
人生は登山、下山の時には「どう人に記憶されたいか」を問う
これまで私は人生を登山にたとえて考えてきました。登山には上りと下りがあります。上りには、自立や経済的成功など“自分の成功”のための道が続いています。
しかし、ある時期から人生の下山が始まります。下山は、世の中に何を残せるかという社会貢献や断捨離の道です。残りの人生が20年や30年だと考えると、「世界のために何をしなければいけないのか」や、「何を捨てるか」が見えてきます。ちなみに私は家族がたくさんいたときに住んでいた家を手放して、今はマンションに引っ越しました。下山の人生は、上りの人生とはまったく違う価値観で生きていくことになります。
私は経済界から身を引いて、教育界に移り、後世を育てていくことを決意したタイミングで、下山に切り替わりました。私の周りでは同世代でもまだまだ上り続けている人もいます。しかし、最期の時まで上り続ける人生100年時代を唱えると、すごく疲れてしまうと思うのです。人としてありたい本来の自分の姿を追求していくことが、下山の期間なのではないでしょうか。
経営の神様と呼ばれるピーター・ドラッカーですが、私は「人生の神様」だと思っています。彼は、「あなたはどう記憶されたいですか」という問いを残しています。「自分がどんな人生を歩みたいか」ではなく、「どう人に記憶されたいか」という問いは、自分の人生の意志決定に大きな影響を与えます。
今、私は「青森県の教育が変わり、子どもたちがいきいきとこの土地で活躍し、選ばれる場所になった。そんなふうに青森の教育を変えた人」と記憶される存在になれたらいいなと思い、人生を走り続けています。