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更新日付:2024年11月28日 地域交通・連携課
AOMORI LIFESHIFT人財インタビュー21 竹中 恵理 さん
「迷ったら挑戦すると決めておく」
地域振興と国際協力の2本の柱でオリジナルの道を行く
青森県生まれ。弘前大学卒業後、大学院へ進学し、研究のため単身インドへ留学。卒業後は、コミュニティFMのラジオパーソナリティーとして勤務。退職後、2017年に内閣府の事業「世界青年の船(Ship for World Youth: 通称SWY)に乗船し、日本から参加する青年約120人、10カ国から集う海外青年約120人と、船内で1ヵ月の共同生活をおくりながら各国を巡る。帰国後は、青森中央学院大学地域連携課に勤務する傍ら、青森県青年国際交流機構会長を務める。
インドへ単身留学し、青森県への愛着に気づく
1年間ほどの滞在中、「私が生まれたところはこんなにきれいな場所です」「たくさんの魅力がある地域なんです」と、気づけば青森県のことばかり話していました。留学前の私は、自分が青森県に愛着があるなんて微塵も思っていませんでした。しかし、遠く離れたインドの地で思い出すのはふるさとのことばかり。その時に、「私は青森県が好きなんだな」と気づきました。
インドに就職することも視野に入れた留学でしたが、「そんなに好きならば青森県に帰ろう」と決心します。そして、戻るならば地域に貢献できる働き方をしたいとも思いました。
「違ったらまたやり直せばいいだけ」の言葉が青森で生きる意志決定に
インドで「青森に帰ろう」と決意したものの、私の心は揺れていました。長年抱き続けてきた国際協力に従事する夢を断ち切ることができなかったのです。
そこで、知り合いを伝ってソーシャルビジネスを世界中で展開しているある会社の方に会いにいきました。彼らが打ち込んでいる仕事に胸を打たれ、ここで働く道もあるのではないかと思ったからです。私は率直に、「国際協力の仕事がしたい。しかし、青森で地域のためにも働きたい」と打ち明けました。そして、「どうしても決めることができないまま、ここに来てしまいました」と伝えたのです。
話を聞いてくださった方は、「困った子だねぇ」と苦笑していました。そして、「青森で仕事をしたいと気付いたんでしょう。あなたは、どうしていいか決められないのではなく、決めていないだけ。1回決めて走って、違ったらまたやり直せばいいんだから頑張りなさい」と発破をかけられました。その言葉で、「青森で働こう」と腹の底から決意を固めることができたのです。
大学院修了後に選んだのは、コミュニティFMのラジオパーソナリティーの仕事でした。地域で頑張っている方々の近くで仕事ができることに魅力を感じ、入社を決めました。地域の方々をインタビューし、誰にも知られてこなかったような活動にスポットライトをあてていく日々。青森県のために働くことができていることにやりがいを感じました。
「今やらないと後悔すると思ったことは、絶対にやった方がいい」
夫に背中を押され世界に漕ぎ出す
実は学生時代から興味を持っていたのですが、1ヶ月以上も日本を離れる事業のため、なかなかタイミングが合いませんでした。当時、20代後半だった私は、年齢制限のギリギリのタイミング。この機会を逃したら、もう二度とチャンスは来ない……。当時の婚約者で、現在の夫にこの思いを伝えると、夫は軽やかに背中を押してくれました。夫は「今やらないと後悔すると思ったことは、絶対にやった方がいい」というポリシーの持ち主です。自分自身もその思いを軸に、人生を切り拓いてきました。「タイミングがどうであれ、今、船に乗らなければ後悔するんでしょう? それならば行った方がいい」と言ってくれました。迷いが吹っ切れた私は、結婚式の1ヶ月後に、「世界青年の船」に乗船し、大海へと出航しました。
世界の青年と1ヵ月間の共同生活で人生の転機を掴む
日本から参加する青年約120人と10カ国から集まってくる海外青年約120人とで、船上で共同生活をおくりながら、セミナーを受けたりディスカッションをしたりして世界の寄港地を巡ります。
バックグラウンドが異なる若者たちが共同生活をおくるので、船の上では毎日のようにトラブルが発生しました。自分の「当たり前」がまったく通用しないことに、私は日々衝撃を受けて過ごしました。
中でもよく覚えているのが、クラブ活動の発表会の企画実行委員として直面したトラブルです。船上生活の後半戦、インフルエンザが蔓延し、さまざまなイベントが延期になったことでスケジュールがつまり、日曜日にクラブ活動の発表会を開催せざるを得なくなってしまいました。クリスチャンにとって日曜日は家族と礼拝に行く神聖な日です。そのため、キリスト教徒が多いフィジーの青年たちから「日曜日にプログラムを入れるなんて考えられない。もし開催するならば出席しない」と非難を浴びたのです。一方で事務局からは、「なんとしても日曜日に開催してください」と通達を受けます。
私たちは実行委員として「全員出席してください」と強制することもできましたが、それはせず、「それぞれの文化は理解したいと思っている。だから、出席したくない人は出なくて大丈夫です」と伝えました。
人によって、「譲れるもの」と「絶対に譲れないもの」は異なります。これは日本人同士でも同様でしょう。他国の人と接すると、それが顕著に現れるだけです。さまざまな価値観を尊重した上で、落としどころを見つけて意思決定を進めていく。船での1ヵ月半の間、私はこの環境に浸れたことで大きく成長し、自信をつけていくことができました。
平和の実現に向けて貢献できることとは何か?
その思いから本県での国際交流の活動をスタート
「世界青年の船」では、プログラムスタート時から、「事業終了後は何をしたいのか」をずっと問い続けられます。問われるたびに、自分を見つめ、心が強く固まっていくのを感じました。私は、青森に戻り、船での経験を生かして、自分よりも若い人たちへ異文化理解や国際交流の機会を作っていきたいと心から思うようになっていったのです。
現在、私は歴代の内閣府国際交流事業の参加者とのネットワークも活かしながら、青森県青年国際交流機構会長を務めています。
毎年実施される内閣府の青年国際交流事業では、海外青年たちは東京で実施する研修の他に、各地方でもプログラムを行うことになっています。私は、その地方プログラムの受け入れを2018年からスタートしました。
大切にしたのは、企画段階から地元の高校生や大学生たちを巻き込んでプログラムを作り上げていくことです。生徒たちはどうしたら海外青年が喜んでくれるのかを考える中で、他国への理解も、本県への理解も深めていきました。そして、プログラムの中では、海外青年と地元青年が実際に触れ合うことで遠い異国の知らない人同士が、「友達」になっていく瞬間を幾度も目にすることができました。
現在、ウクライナ情勢について様々なニュースを見聞きします。私は世界青年の船でウクライナの青年と出会いました。だから、私にとってこの戦争はどこかの知らない国同士で起きている出来事ではなく、友達が苦しんでいる辛い現状です。ニュースを見るたびに、無事を祈り続けています。
触れ合ったり友達になったりすることによって、世界各地で起きていることが他人事ではなくなります。つまり、私にとって国際交流とは、各国の様々な社会問題を自分ごと化する力を耕す、平和に向かっていく活動なのです。「平和な世界をつくるために自分にはどんな貢献ができるのか」、これを考え続けた結果、本県での国際交流に邁進する道へと辿りつきました。
地域振興と国際協力の仕事を重ねていく
現在、私は大学の地域連携課で産官学民の連携を促す仕事にも従事しています。行政や企業から「地域課題に関するこのプロジェクトを学生と取り組みたい」「ビジネスアイデアコンテストがあるので学生たちで出場しないか」といったお声掛けを受け、企画や周知を行っています。
県外から来た学生はもとより、本県で生まれ育った子でも、県内のことを深く理解している人はそう多くはありません。その土地に入って、実際に活動していく“本当の体験”を積むことは、地域への興味関心を持ち、自分自身の可能性にも気づいていく重要な経験だと考えています。
これまで私は、地域振興と国際交流の活動を別々に行なってきました。しかし、今後は両者の営みをより重ねていきたいと思っています。本県において、グローバル化は避けては通れない道ですし、可能性を大きくはらんだチャンスでもあります。だからこそ、本県の若者たちのために国際交流を行なっていくことは、地域の未来のために不可欠なアプローチだと考えています。
そして、このライフシフトによって、自身が本当に実現したいことに打ち込むフェーズへと突入していくのではないかと胸を高鳴らせてもいるのです。
アイデンティティを軸に関係性の枝葉を広げていく
グローバル化する社会においては、英語力よりも「何を伝えたいのか」というアイデンティティこそが大事になると思っています。アイデンティティを明確にするには、「自分が何者で、何が好きで、何ができるのか」を明らかにしていくことが必要です。だからこそ、まずは自分が持っている「好きなもの」や「やってみたいこと」に目を向けて、小さなチャレンジをしてはいかがでしょうか。
もしかしたら、失敗を恐れる気持ちが湧いてくるかもしれませんが、私が就職活動の時に言われた通り、「1回決めて走って、違ったらまたやり直せばいいだけ」です。
本県は急激に人口減少が進んでいます。これからどんどん働き手不足は進行していくでしょう。また、企業の中でも人手不足は進みます。地域の働き手不足や企業の人手不足の解消のためには、関係人口の考え方がとても重要になると思います。ゆるやかに関わりがあった人に、プロジェクト単位や短期間で「こんなふうに関わってくれませんか」と依頼が生まれていく時代になると思うからです。
今後活躍するライフシフト人財とは、こうしたゆるやかな関係人口を多く持っている人ではないでしょうか。その人が持つアイデンティティが木の幹となり、副業や趣味やボランティアなどで生まれる関係性や経験が枝や葉を広げていく。太い幹を持ち、広がりのある枝葉を持つ方が増えていくことで、地域も自分自身もどんどん豊かになっていくと思うのです。
「挑戦するか迷ったら、『挑戦する』と決めておく」
越境の学びで様々な自分と出会う
私は越境学習がすごく好きなんです。転職とまではいかなくても、越境しながら本職では学べないようなことをつまみ食いして学んで、それを結果的に本業にも生かせるようにする。慣れ親しんだ場所から飛び出す時には、少しの違和感がつきものです。私はそれをたまに感じないと、同じ組織内で慣れすぎてしまっているのではないかと、少し怖くなってしまいます。
もしかしたら、外に出て自分自身を俯瞰することで、これから進むべき道を見出そうとしているのかもしれません。
自分がこれまで築いてきた“一本の線”から飛び出す時には、不安や恐怖が芽生えるものだと思います。しかし、一度飛び出してしまえば楽しいことのほうがずっと多い。例えば、私が「世界青年の船に乗ろう」と決めた時には不安も大きかったのですが、振り返ると、あの時にきちんと自分で挑戦を選択してよかったなと思います。
少し話がそれるかもしれませんが、挑戦は仕事だけにはとどまらないと最近では思っています。今の私は、結婚や子育てといったライフイベントを迎えて、仕事だけではない人生全体を含めたウェルビーイングを考えるようになっています。多様なマルチステージがあるのだな、と実感しているんです。
これからも多様なステージを楽しみたい、そんなふうに思っています。先日、越境して参加した研修で、尊敬する先生が「人生では『迷ったら、やる』と決めておく。そうしたら迷わないから」とお話ししていました。常に「挑戦する」と決めておく――、私もそんな人生を歩んでいきたいと思っています。