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更新日付:2023年3月28日 文化財保護課
岩木山神社拝殿
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岩木山神社拝殿
- 写真提供 弘前市教育委員会
指定区分 | 重要文化財 |
名称及び員数 | いわきやまじんじゃはいでん 岩木山神社拝殿 1棟 |
所在地 | 弘前市大字百沢字寺沢27 |
所有者 | 岩木山神社 |
指定年月日 | 明治41年4月23日 |
公開状況 | 公開 |
問合せ先 | 岩木山神社 TEL0172-83-2135 |
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時期 〈江戸時代前期 慶長8年(1602)から寛永17年(1640)〉
天正17年(1589)正月の岩木山噴火による火災によって、百沢寺全山が焼失した後の、慶長8年(1602)に、弘前藩祖為信が百沢寺大堂(本堂)として起工し、3代信義の代にようやく完成し、寛永17年(1640)に入仏供養会が行われたものである。
壮大な五間堂で、入母屋造とち葺型銅板葺の屋根の正面に干鳥破風が付き、1間の向拝が付くという形である。
内部の構成も明快で、密教寺院本堂としての雰囲気を今に伝えている。外部を全面丹塗りとし、内部は弁柄塗りであるが、彫刻や蟇股には美しい極彩色がみられる。
現在、長勝寺に保管されている慶長8年の棟札には、大工職や鍛冶職に越前や丹波の工人が名前を連ねている。このことは、弘前藩がその初期において、各種技術者を広く全国から招聘していたことを示すものであろう。
現状の拝殿は、内外陣境の結界、内陣の来迎壁、それに須弥壇や厨子が撤去されて開放的に使用されているが、これは、明治初期の神仏分離令によって百沢寺から岩木山神社へと移行し、密教寺院本堂から神社拝殿となった際に改造されたものである。