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更新日付:2023年2月10日 文化財保護課
南部安信の墓(宝篋印塔)
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南部安信の墓(宝篋印塔)
- 写真提供 南部町教育委員会
指定区分 | 県重宝 |
名称 | なんぶやすのぶのはか (ほうきょういんとう) 南部安信の墓 (宝篋印塔) 1基 |
所在地 | 三戸郡南部町小向字馬場坂45 |
所有者 | 個人 |
指定年月日 | 平成14年4月17日 |
公開状況 | 公開 |
問合せ先 | 南部町教育委員会 社会教育課 史跡対策室 TEL0178-38-5969 |
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時期 〈室町時代後期〉
南部氏の城館である聖寿寺館(本三戸城)の館域にある南部23代安信の墓で、室町時代後期に造立され、南部氏歴代の宝篋印塔のうち最古のものと考えられる。
関東型宝篋印塔を基本として、南部氏が長い年月の間に独自の様式を生み出していったものと考えられる。石材は二戸市石切所産の石英安山岩と推定され、基礎は、塔身を載せる台も含めて一石から作られ、反花はない。下段の前面に「廿三代 太守 右馬 允安 信公」という造立当時と推定される刻文がある。塔身は、左右両側に田の字型が明白に残り、正面、裏面にも田の字型が残っている。また、正面には逆さ卍が刻まれている。笠は、軒下に2段の軒出しを刻むのが通例だが、軒の断面に2本の線を刻んで簡略化している。隅飾突起はほとんど退化した状態で、4個の内2個は現存しない。軒部の断面は広く、安信の諡「悦山」「怡公」の四字が正面と左の軒に刻まれている。相輪は、宝珠の部分から九輪の上部まで欠けている。九輪は7個目まで数えられ、九輪の下には請花が刻まれている。
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FAX:017-734-8280
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