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更新日付:2015年12月21日 文化財保護課
南部信直夫妻の墓石
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南部信直夫妻の墓石
指定区分 | 県重宝 |
名称 | なんぶのぶなおふさいのぼせき 南部信直夫妻の墓石 |
所在地 | 三戸郡南部町大字小向字正寿寺 |
所有者 | 個人 |
登録年月日 | 平成27年8月14日 |
公開状況 | 非公開 |
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時期 〈17世紀前期〉
南部信直は、南部家中興の祖といわれる第26代当主であり、田子城、三戸城を居城とし、九戸の乱の後は九戸城を福岡城と改め南部氏の本城とした。慶長4年(1599)、行年54歳で死去している。夫妻墓として信直とともに祀られているのは、泉山古康(出雲政弘)の娘で、27代利直と檜山御前と呼ばれた秋田忠次郎季隆の室の生母でもあり、寛永17年(1640)年死去した。江戸後期の盛岡藩内の名所・旧跡・寺院などについて記した『北奥路程記』には、南部信直夫妻の墓に簡単な覆屋がかけられていた様子が描かれている。
県内での塔石には地域差が顕著にみられるなかで、この墓石は、空輪の形態がこの地方の五輪塔のものに類似し、一方で宝篋印塔の笠を模したような作り出しもみられるなど、極めて特徴ある墓石形態を有している。また、建立された年代が明らかで、被葬者が南部家中興の祖とされる信直とその室であるが、信直の嫡子利直や孫の利康は、霊屋を伴う墓に埋葬されているのに対し、南部信直の墓にはこれがみられない点において、近世大名墓と御霊屋の関係を考えるうえでも重要なものである。