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更新日付:2023年3月28日 文化財保護課
旧三上家住宅
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旧三上家住宅
- 写真提供 佐井村教育委員会
指定区分 | 県重宝 |
名称 | きゅうみかみけじゅうたく 旧三上家住宅 1棟 |
所在地 | 下北郡佐井村大字佐井字大佐井70-2 |
所有者 | 佐井村 |
登録年月日 | 平成28年4月18日 |
公開状況 | 公開(4月29日~10月31日) |
問合せ先 | 佐井村教育委員会 TEL 0175-38-4506 |
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時期 〈江戸時代末期〉
三上家初代は南部藩士であった野辺地三上才兵衛の佐井に移住した二男平助で、2代目庸達が享保15年(1730)に医業を始めた後、三上家は代々医師を輩出してきた家系である。
三上剛太郎は、明治2年(1869)に三上家8代目として誕生し、明治28年(1895)に医者となり、明治35年(1902)から村医を務めた。三上家住宅に診療室を増築したのは、明治28年(1895)から明治35(1902)の間と推定される。明治38年(1905)に軍医として日露戦争の激戦地の満州黒溝台に赴任した際に「仮包帯所(野戦病院の前身)」を設営し、手製の赤十字旗を掲げた。ロシア兵1名を含む74名を救ったことで勲功を受けた。この仮包帯所が日本赤十字社誕生の魁となり、「日本赤十字の父」と呼ばれている。
旧三上家住宅は、剛太郎が96歳(昭和39年(1964))で大往生するまで医院として使われた。その後、イタマ・ダイドコ・寝間や便所・風呂などが改造されたが、診療室や常居・座敷廻りは建築当初の様子を良く残している建物である。
旧三上家住宅は、江戸時代末期に建設したと推定される町屋を、明治30年(1897)前後に医院に改修した、和風医院の特徴を良く保存している建物である。洋風及び擬洋風建築の医院が文化財に指定されている全国の状況を鑑みると、貴重な和風の医院建築である。