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更新日付:2021年3月10日 文化財保護課
鰺ヶ沢白八幡宮の大祭行事
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鰺ヶ沢白八幡宮の大祭行事
- 山車の行列(平成21年、写真提供 鰺ヶ沢町教育委員会)
- 大祭で上演されるカシ禰宜(平成21年、写真提供 鰺ヶ沢町教育委員会)
指定区分 | 県無形民俗文化財 |
名称 | あじがさわしらはちまんぐうのたいさいぎょうじ 鰺ヶ沢白八幡宮の大祭行事 |
所在地 | 鰺ヶ沢町 |
保護団体 | 白八幡宮大祭文化保存会 |
指定年月日 | 平成25年8月14日 |
公開状況 | 4年に1度開催(8月14日~16日) |
問合せ先 | 鰺ヶ沢町教育委員会 社会教育課 TEL0173-72-2111(代) |
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神輿渡御(みこしとぎょ)に人形山車が付祭となっている行事としては、津軽地方で唯一現存している祭礼である。
祭礼は、「弘前藩庁日記」(国日記)の記録から、延宝5年(1677)には、行われていたと推測される。神輿寄進札に貞享2年(1685)の紀年銘があり、そのころには、神輿渡御を伴う祭礼が行われていたものと考えられる。
藩政時代、鰺ヶ沢町は弘前藩と上方を結ぶ海運の起点として重要な位置にあった港町であり、神輿渡御を伴う弘前八幡宮の祭礼と交流や影響関係があったことが史資料から推測できる。
付祭(つけまつり)としての山車(だし)行事については、藩政時代どのようなものであったか不明な点が多いが、釣町(つりまち)「恵比須(えびす)」の人形の箱書きに弘化3年(1846)の紀年銘があり、現存する山車人形のうち年代が判明する最古の人形である。
カシ禰宜(ねぎ)は、安永9年(1780)に新町(あらまち)の名主(なぬし)大塚又右衛門が、仙台の塩竈(しおがま)神社に参詣の際、カシ禰宜神楽を見て感動し、その地に足を留め習得して、帰郷後、祭礼での出し物とするようになったと伝えている。
祭礼は明治時代に入って一時中断したが、明治23年(1890)に復活した。大正時代から大祭は、4年おきに行われるようになり、太平洋戦争により一時中断したものの、昭和24年から再開し、現在も4年おきに行う行事として継続している。
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FAX:017-734-8280
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