ホーム > 組織でさがす > 教育委員会 > 文化財保護課 > 一里塚
関連分野
- くらし
- 文化財保護
更新日付:2023年2月10日 文化財保護課
一里塚

一里塚
- 写真提供 七戸町教育委員会
指定区分 | 県史跡 |
名称 | いちりづか 一里塚 2基 |
所在地 | 上北郡七戸町字卒古沢9 |
所有者 | 東北電力(株) |
指定年月日 | 昭和37年6月29日 |
公開状況 | 公開 |
問合わせ先 | 七戸町教育委員会世界遺産対策室 TEL0176-58-5530 |
-
一里塚は慶長9年(1604)徳川家康の命により、日本橋を基点とし、36町を一里と定め、一里ごとに、里程標として全国主要街道に築かせたものである。 中央・地方とも多くの文献は、その完成を同年内としているが、南部の史書「篤焉家訓」は、慶長15年(1610)5月としている。
盛岡藩「藩治雑記」には「慶長9年諸国一里塚新築の節、一応塚建築、南鬼柳通より北野辺地通馬門村迄…」とあることなどから総合的に判断すると、南部領内の一里塚は、慶長9年から準備を始め、同15年に完成したことになろう。
街道の両側に築かれた一里塚は、その上に植えられた樹木と相まって、里程標として、また夏は涼を求め、冬は雪を避ける手段ともなり、旅人に便を与えた。その大きさは、「当代記」に5間4方とあるとおり、本県に残されている一里塚の底面直径は10m前後のものが多く、高さは2mから3m前後である。塚間の間隔は、七戸町卒古沢の場合9.3m、使用された道幅は6.5m前後である。現在10か所が指定されているが、未指定のものも加えると南部地方におけるその残存数は全国的にも多い方に属する。
なお、卒古沢の2基の一里塚はまことに美しく保存管理も万全であり、そこに立つ人をして江戸時代の街道にいるかの感を催させる、代表的な一里塚といっても過言ではないだろう。
関連ページ
この記事についてのお問い合わせ
文化財保護課
電話:017-734-9919
FAX:017-734-8280
※見学に関するお問い合わせは、所有者又は各市町村教育委員会へお願いします。