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更新日付:2023年3月28日 文化財保護課
津軽氏城跡(種里城跡・堀越城跡・弘前城跡)
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津軽氏城跡(種里城跡・堀越城跡・弘前城跡)
- 写真提供 弘前市教育委員会
指定区分 | 国史跡 |
名称 | つがるししろあと (たねさとじょうあと・ほりこしじょうあと・ひろさきじょうあと) 津軽氏城跡 (種里城跡・堀越城跡・弘前城跡) |
所在地 | 弘前市大字下白銀町・西茂森・新寺町・堀越ほか、鰺ヶ沢町種里 |
管理団体 | 弘前市 ほか |
指定年月日 | 昭和27年3月29日 昭和60年11月15日(追加指定及び名称変更) 平成14年12月19日(追加指定及び名称変更) 平成22年 8月 5日(追加指定) |
公開状況 | 公開(一部有料) |
問合わせ先 | 弘前市教育委員会 文化財課(堀越城跡、弘前城跡) TEL0172-82-1642 鰺ヶ沢町教育委員会 社会教育課(種里城跡) TEL0173-72-2111(代) |
- 慶長16年(1611)完成の津軽氏10万石の居城。西の岩木川、東に土淵川を配し、南方の久渡寺山側より北に向かった細長い台地の端に位置する平山城。城下は藩祖為信によって計画され、築城は2代信枚が着手、資材に各地の廃城、そして江戸の職人も大量採用されて2年間で完成した。当時4万7千石だったが、五層の天守を始め、郭・櫓・御殿・重臣邸など雄藩規模であった。奥羽地方への備えのほかに蝦夷地鎮護の役割も考えられたのだろう。現在は文化7年(1810)の本丸隅櫓を改造した三重の天守閣と追手門ら5門と3つの櫓を残すのみだが、維新後の城郭破壊や火災、戦火から残った日本の数少ない名城として貴重な存在である。昭和27年(1952)国史跡と指定され、禅林33ヵ寺の長勝寺構と最勝院五重塔を含む新寺構も指定された。昭和60年(1985)、弘前城跡を津軽氏城跡と改称し、弘前城南東4kmの津軽氏の旧城堀越城跡も追加指定される。平成14年(2002)年、鰺ヶ沢町の種里城跡も追加指定された。平成22年堀越城跡の追加指定により指定面積は約105万8千m2である。
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文化財保護課
電話:017-734-9919
FAX:017-734-8280
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