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更新日付:2016年7月15日 りんご果樹課
りんご知識人
これを知れば、あなたも「りんご知識人」。あなたの知りたいことがあるかもしれませんよ。
りんご品質豆知識
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りんごは病害虫の発生を防ぐため、収穫されるまでに農薬の散布が行われますが、正しい使用時期や方法により、健康に害のないように十分注意しています。
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「りんごの表面に油を塗って売られているようだが、害はないのですか」という問い合わせが多く寄せられます。これは、「油あがり」と呼ばれる現象で、その主成分はりんごが成熟するにつれて増えるリノール酸とオレイン酸であり、これらの物質に害はなく、むしろ不飽和脂肪酸と呼ばれる栄養価の高いものです。
この現象は、ジョナゴールド、つがるなどにみられ、りんごがよく熟している“しるし”なのです。
この現象は、ジョナゴールド、つがるなどにみられ、りんごがよく熟している“しるし”なのです。
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りんごの皮をむいてしばらくすると、茶褐色に変色しますが、これは果肉中の成分(クロロゲン酸及びカテキン類)が、酵素(ポリフェノールオキシターゼ)によって酸化されるためです。
褐変を抑えるには、ビタミンC液か食塩水に浸すと効果があります。食塩水の場合は0.85%位の濃度にし、約15分間つけると変色を防ぎます。
褐変を抑えるには、ビタミンC液か食塩水に浸すと効果があります。食塩水の場合は0.85%位の濃度にし、約15分間つけると変色を防ぎます。
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りんごの果皮細胞に、アントシアニンという成分が集まることによって、赤く見えます。赤色りんごと黄色りんごでは、赤いりんごの方が売れ行きが良いことから、作っている量を多くしています。
ニュートンのりんご
300年前、アイザック・ニュートンがイギリスの生家の庭でりんごの落ちるのをみて「万有引力の法則」を発見した話は有名です。この歴史的なりんごの木の二代目から増殖した分身の原木が日本の小石川の植物園にあります。
ところで、このりんごの果実はどのようなものでしょう。実は青森県りんご試験場にも実をつけている樹があります。品種は「ケントの花」といい料理用の酸っぱいりんごで、お世辞にも美味しいりんごとは言えません。このりんご、熟する前に風がなくともポトポト落ちてしまいます。
偉大な発見の鍵となった樹の前に立ってニュートンの気持ちに思いをはせてはみませんか。
ところで、このりんごの果実はどのようなものでしょう。実は青森県りんご試験場にも実をつけている樹があります。品種は「ケントの花」といい料理用の酸っぱいりんごで、お世辞にも美味しいりんごとは言えません。このりんご、熟する前に風がなくともポトポト落ちてしまいます。
偉大な発見の鍵となった樹の前に立ってニュートンの気持ちに思いをはせてはみませんか。
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販売され始めた明治20年頃からは、すでに30~40斤の木箱が使われていたそうですが、石油空箱やそうめん箱、籠など統一されておらず、様々であったため、市場や問屋では買い付けが難しかったようです。
明治40年頃には40斤箱(三戸地方は30斤箱)でほぼ統一され、鋸屑や籾殻が充填されました。40斤箱は、6トン貨車に積み込むにはとても都合がよいサイズだったそうですが、輸入りんごの箱を模倣したという説もあります。
昭和25年6月の朝鮮動乱発生以後の物価上昇と戦時中の乱伐による木材供給量減少で、木箱不足が深刻化しました。ダンボール箱やベニヤ箱による輸送試験も行われましたが、昭和31年頃から材種が松からブナに代わり、現在の木箱とダンボール主体の出荷となっています。
明治40年頃には40斤箱(三戸地方は30斤箱)でほぼ統一され、鋸屑や籾殻が充填されました。40斤箱は、6トン貨車に積み込むにはとても都合がよいサイズだったそうですが、輸入りんごの箱を模倣したという説もあります。
昭和25年6月の朝鮮動乱発生以後の物価上昇と戦時中の乱伐による木材供給量減少で、木箱不足が深刻化しました。ダンボール箱やベニヤ箱による輸送試験も行われましたが、昭和31年頃から材種が松からブナに代わり、現在の木箱とダンボール主体の出荷となっています。
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袋かけは、当初は害虫から実を守るのが目的でした。
明治30年代から青森県では袋かけが行われ始めましたが、当時は、和紙に柿渋を塗ったもの(3年くらい使えたそうです)や雑誌をばらしたもの等が用いられましたが、まもなく新聞紙を使ったものになったそうです。
新聞紙は、費用が安いほか、インキの効果が大きかったようです。インキが害虫に対して嫌忌性を持ち、インキで黒くなった新聞紙が着色を良くし、インキの油性が新聞紙の雨水に対する耐久性を向上させたのです。
現在は、貯蔵性を高め、販売期間を長くするための手段として行われています。
明治30年代から青森県では袋かけが行われ始めましたが、当時は、和紙に柿渋を塗ったもの(3年くらい使えたそうです)や雑誌をばらしたもの等が用いられましたが、まもなく新聞紙を使ったものになったそうです。
新聞紙は、費用が安いほか、インキの効果が大きかったようです。インキが害虫に対して嫌忌性を持ち、インキで黒くなった新聞紙が着色を良くし、インキの油性が新聞紙の雨水に対する耐久性を向上させたのです。
現在は、貯蔵性を高め、販売期間を長くするための手段として行われています。
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貯蔵りんごが初めて出荷されたのは、明治20年代のようです。「囲い物」と呼ばれたそうです。
土蔵や土穴での貯蔵で、凍結防止のために炭火を使ったそうです。その後、半地下室風の土穴に天然氷や雪を入れるようになり、明治末期には、二重の壁板の間に雪を入れる「雪まき冷蔵」が行われるようになりました。
りんご専用冷蔵庫が建設されるようになったのは、昭和の初め頃で、流通業者によるものでした。
土蔵や土穴での貯蔵で、凍結防止のために炭火を使ったそうです。その後、半地下室風の土穴に天然氷や雪を入れるようになり、明治末期には、二重の壁板の間に雪を入れる「雪まき冷蔵」が行われるようになりました。
りんご専用冷蔵庫が建設されるようになったのは、昭和の初め頃で、流通業者によるものでした。
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戦時中の労力不足で目の敵にされたのは、稲作作業と競合するりんごの袋かけ作業でした。昭和18年5月に出された農業生産統制令で、「りんごを栽培する農業者はりんご袋かけのためその集落の田植え及び第1項に定めた3回の除草に支障を及ぼすことを得ざるものとする。」とされました。3回の除草を終えなければ、袋かけはできなくなったのです。
当時は、袋かけを行っている農業者が毎日のように連行されたそうです。村によっては駐在所の警官が火の見やぐらの上に上がって望遠鏡でりんご園を監視しました。
この後、青森りんごは、昭和20年の皆無に近い状態になるまで転落することとなります。
当時は、袋かけを行っている農業者が毎日のように連行されたそうです。村によっては駐在所の警官が火の見やぐらの上に上がって望遠鏡でりんご園を監視しました。
この後、青森りんごは、昭和20年の皆無に近い状態になるまで転落することとなります。
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北アメリカを原産とする重要病害で、アメリカ、カナダ、ヨーロッパ中央など30か国で発生しています。かつて腐らん病と間違われたこともあるそうですが、日本では未発生であり、本病を防ぐために厳重な検疫体制を敷いています。
病原は細菌です。葉が感染すると火であぶられたように暗褐色に変色し、枯れることから、この名前がつけられました。
りんごをはじめとしたバラ科の多くが感染し、特になし、りんご、マルメロで被害が大きく、防除はとても困難な病気です。
病原は細菌です。葉が感染すると火であぶられたように暗褐色に変色し、枯れることから、この名前がつけられました。
りんごをはじめとしたバラ科の多くが感染し、特になし、りんご、マルメロで被害が大きく、防除はとても困難な病気です。
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明治30年代後半に、袋かけ技術が普及するきっかけとなったのが、ゾウムシとシンクイガの大発生でした。当時は、虫が活動する前の早朝に、樹を傷つけないようにゴムを巻いた棍棒で枝を打ち、落ちる虫を下に広げた白布で受け、火をつけて燃やすという方法で防除していました。
まだ、農薬や散布機がなかった時は大変だったようです。
まだ、農薬や散布機がなかった時は大変だったようです。