ホーム > 組織でさがす > 交通・地域社会部 > 地域生活文化課 > ちょっと昔の青森県05「岩木山のお山参詣」(青森県史)
関連分野
- くらし
- 県外の方
- 青森県史
更新日付:2008年12月10日 地域生活文化課
ちょっと昔の青森県05「岩木山のお山参詣」(青森県史)
懐かしのサイギ、サイギ 編集 民俗部会調査研究員 小山 隆秀
「津軽富士」ともいわれる青森県最高峰の岩木山は、津軽平野のどこからも見えるので、昔から目印にされた山です。津軽の人々の信仰を集めてきた霊山でもあります。
岩木山は、江戸時代には弘前藩の守り神「当国之鎮守」と位置づけられていました。いまでも旧暦8月1日の祭日には、「お山参詣」と称して、各地から多くの人々が集まってきます。
写真は、お山参詣ルートの玄関口、岩木山神社の境内前広場です。前日から、多くのお店が並び、参詣者で賑わいます。
昭和20年代までは、各地から集まったが参詣者が登拝に備えて神社周辺の宿に泊まっていました。
境内には、参詣用のご幣やたいまつ、横笛などを売る店、そば屋、おでん屋、綿飴屋、氷水屋、ケーキ屋、皮細工屋、おもちゃ屋が並んでいました。芝居小屋がかかり、民謡のど自慢大会、獅子踊りのほか、イタコや占い師まで小屋がけして客を集め、現代よりバラエティーに富む店ぞろいだったそうです。
しかし昭和30年代に入ると、マイカーやバスの普及にともない、日帰りする参詣客が増え始めます。人出が少なく見えるこの写真は、そんな時代の変化を写した写真だといえます。
写真 岩木山神社の祭日の様子
1960(昭和35)年9月20日撮影・県史編さんグループ所蔵
写真は、ムラから担いできた大きなのぼりを捧げて、岩木山神社の楼門をくぐり、拝殿へと上がっていく途中の場面だと思われます。ムラの名前を記した重いのぼりを捧げて歩くのは、今も変わらぬ青年達の腕の見せ所です。
写真 のぼりを掲げる若者たち
1960(昭和35)年9月20日撮影
県史編さんグループ所蔵
写真は、夜通しかけて岩木山を登った人々が、旧暦8月1日の早朝、山頂の奥宮へ参詣している場面です。
かつては「ハヂ来たジャー!」と呼びかけながら奥宮をゆすったり、中にある岩木山神像へ御神酒をかけ、持参した餅をこすりつけたりする習俗がありました。しかし、現在はいたずら防止のため、奥宮には鍵がかけられており、神像に触れることはできません。
写真では奥宮が石造りとなっていますが、それ以前は木造でした。その当時、立て直す際には、古いものを山頂から投げ、その壊れ方を見て豊作を占ったといいます。
参詣者の服装をご覧ください。当時すでに、伝統的な白装束よりは、普段着または現代の登山の服装が多くなっていた様子がわかります。
この後、昭和40年に津軽岩木スカイラインが開通すると、お山参詣のスタイルはさらに大きく変わったといわれます。これらの写真は、その直前の様子を伝える貴重な資料といえるでしょう。
写真 岩木山頂上の奥宮で
1960(昭和35)年9月20日撮影・県史編さんグループ所蔵
関連ページ
この記事についてのお問い合わせ
交通・地域社会部 地域生活文化課 文化スポーツ・NPOグループ
電話:017-734-9238・9239
FAX:017-734-8063