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更新日付:2024年4月1日
祭り
青森ねぶた祭
青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠(とうろう)流しの変形であろうといわれていますが、その起源(きげん)は定かではありません。
奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗(しゅうぞく)と精霊(せいれい)送り、人形、虫送りなどの行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、それが変化して人形、扇(おうぎ)ねぶたになったと考えられています。
初期のねぶたの形態は「七夕祭(たなばたまつり)」であったのでしょう。そこに登場する練(ね)り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、七夕祭は7月7日の夜に穢(けが)れを川や海に流す、禊(みそぎ)の行事として灯籠を流して無病息災(むびょうそくさい)を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。
「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民族語彙分布(みんぞくごいぶんぷ)と方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛(てんか)したものと考えられています。
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弘前ねぷたまつり
津軽の夏を彩る弘前ねぷたまつりは、三国志(さんごくし)や水滸伝(すいこでん)などの武者絵(むしゃえ)を題材とした大小約80台の勇壮華麗(ゆうそうかれい)なねぷたが、城下町弘前を練(ね)り歩く夏まつりです。
由来は諸説(しょせつ)ありますが、忙しい夏の農作業の妨(さまた)げとなる眠気や怠(なま)け心などを流す、「眠り流し」という農民行事から生まれ、またねぷたの語源(ごげん)も、この「眠り流し」から「ねむたながし」「ねむた」「ねぷた」と転訛したのではないかといわれています。ねぷたが初めて記録に登場したのは、享保7年(1722年)の「御国日記」。五代藩主信寿公(ごだいはんしゅ のぶとしこう)が「袮(ね)むた」を高覧(こうらん)したとあります。
1980年1月に重要無形民俗文化財(じゅうようむけいみんぞくぶんかざい)に指定され、現在は、子どもねぷたや前燈籠などさまざまに趣向(しゅこう)を凝(こ)らし、鏡絵(前)の雄姿と見送り(後)の幽玄(ゆうげん)さが対照的な「扇ねぷた」、伝統ある豪華絢爛(ごうかけんらん)な「組ねぷた」とともに、情緒ある笛や太鼓のねぷた囃子にのせて、市民らの手によって運行されています。
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国指定重要無形文化財「八戸三社大祭」(はちのへさんしゃたいさい)
享保5年(1720年)、凶作に悩む八戸の有力者たちが、法霊大明神(ほうりょうだいみょうじん)(現在のおがみ神社)に天候の回復と豊作を祈願(きがん)したところ、無事に秋の収穫を迎えることができました。その御礼として、八戸藩の許可のもと、武士や町人から寄進(きしん)を募って神輿(みこし)を建造し、享保6年(1721年)、長者山三社堂(ちょうじゃさんさんしゃどう)(現在の新羅神社)に渡御(とぎょ)したことが、八戸三社大祭の始まりと言われています。
2016年12月1日、八戸三社大祭は全国33種の祭礼行事「山・鉾・屋台行行事」の1つとして、ユネスコ無形文化遺産に登録が決定。
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五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)
青森県を代表する夏の祭り「ねぷた」は、古くは中国から伝わった「中元」の行事が起源(きげん)といわれ、400年以上もの間、津軽地方を中心に受け継がれて来た火祭りです。その一角をなす五所川原市のねぷたは、現在「たちねぷた」と呼ばれています。この巨大ねぷたが、五所川原の記録に登場するのは、明治40年頃といわれています。
当時、県内にその名をとどろかせた「布嘉(ぬのか)」などの豪商(ごうしょう)、大地主の力の象徴として、巨大ねぷたは高さを誇るようになり、約10~12間(約18~21.6m)に及ぶようになりました。その勇姿は、近隣の町村からも見えたと言われるほど巨大なものでした。この頃のねぷたの題材は、中国の三国志や日本の歌舞伎(かぶき)などの歴史上の人物が多かったと言われています。
しかし、大正時代になり電気が普及し、ねぷたは小型化の一途をたどりました。また、戦後に起きた2度の大火で街が全焼したことにより、設計図や写真が消失し、巨大ねぷたは姿を消しました。
ところが、1993年に当時の設計図と写真が発見され、翌1994年には市民劇団「橇の音(そりのおと)」により高さ7メートルのねぷたが復元されました。その後1996年に市民有志により「たちねぷた復元の会」が結成され、1998年、80年ぶりに「五所川原たちねぷた」が復活をなしとげました。
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弘前さくらまつり
弘前に桜前線がやってくるのは、4月下旬ころ。華やかな桜が老松(おいまつ)と見事なコントラストを描き、弘前公園の中で美しく咲き競います。 人々はその桜の下で花に酔い、酒に酔い、津軽の春を満喫(まんきつ)します。 夜になればライトアップされた桜がお城をめぐる濠の水面に浮かび、幻想的(げんそうてき)な風情(ふぜい)を醸(かも)し出し、その美しさは訪れる人々を魅了します。
現在、公園内には、ソメイヨシノを中心に、シダレザクラ、八重桜(やえざくら)など、約50種類2600本の桜が咲き誇ります。 公園内の桜は、ソメイヨシノの場合、樹齢(じゅれい)100年を超えた老木でも1つの花芽から咲く花の数が4個から5個と多いのが特徴(とくちょう)で、 満開の枝をじっくり眺めてみると花にボリュームがあり、どっしりと咲く優美な桜は、日本一の徹底(てってい)した管理から生まれています。
また、弘前公園の桜は散り際まで人々を魅了(みりょう)します。 花びらが濠(ごう)の水面を流れていく「花筏(はないかだ)」、花びらで濠を埋め尽くすほどの「桜の絨毯(じゅうたん)」も話題となっています。
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- 弘前観光コンベンション協会
地域の祭りと文化
この他にも、青森県内ではさまざまな祭りが開催されています。
地域ごとにいろいろな歴史があるので、調べてみるとおもしろいかもしれません。
- 荒馬まつり(今別町)
- 田名部まつり(むつ市)
- 地域の祭りと文化について、もっと知りたい人は
- 青森県観光情報サイト「Amazing AOMORI」